令和7年1月
歩くことが、これほど難しいものだとは思いませんでした。
足を一歩前に出すだけで、右腰の奥から脚の先まで、重痛い鈍痛と細い針を刺されたような痺れが走ります。
身体が前に傾き、膝が抜けそうになり、支えがないと倒れてしまいそうでした。
治療家として何千人もの「歩けない患者さん」を診てきましたが、その苦しみの本当の意味を、この時期に理解しました。
日によって痛みの質も場所も変わり、少し歩ける日もあれば、ほぼ歩けない日もありました。
痛みが強い日は、わずか数メートルの移動で立ち止まり、手すりや壁に手を添えて動けなくなりました。
「このまま本当に歩けなくなるかもしれない」
そんな考えが胸の奥で重く広がり、腰椎疾患の論文や資料を読みまくりました。
症状が思うように改善しないため、私は医師のすすめでMRI検査を受けました。
検査結果は、はっきりとしていました。
「正中後方、それから右の椎間孔にヘルニアが出ています」
画像を見ながら、医師は静かに説明を続けました。
ヘルニアの位置と形、神経根を圧迫している範囲、症状と一致する神経学的所見…
治療家として自分でも理解できる内容でしたが、
「自分の身体のこと」として受け取るには、非常に重い言葉でした。
医師は私が治療家であることを知っています。
だからこそ専門的な説明を丁寧にしたあとで、おっしゃいました。
「手術のタイミングは、あなた自身で判断していいですよ。
ただ…くれぐれも無理はしないように」
その言葉は、脅しでも警告でもなく、
「同じ医療者としてのいたわり」だと感じました。
しかし同時に、自分の症状の深刻さを突きつけられた気もしました。
診察室を出たあと廊下を歩くのがつらく、壁に手をつきながらゆっくり進みました。
悪魔(痛み)の正体は、やはりヘルニアでした。
MRI画像が頭から離れず「このヘルニアと、どう向き合えばいいのか」
その答えはまだ見えませんでした。
歩けない日が続くと、気持ちまで締めつけられていきました。
接骨院の院長でありながら、治療家が最も避けたい「長期の神経症状」に自分が陥っていく。
患者さんには前向きな言葉をかけながら、
自分には一つの明るい言葉すらかけられない日もありました。
不安は夜になるとさらに大きくなりました。
痛みで眠れない上に、翌日立てるかどうかもわからない。
身体の痛みより、心の不安が限界へ近づいていきました。
それでも仕事は休みませんでした。
休んだ瞬間に悪魔(痛み)に負けを認め「治療家としての自分」が壊れてしまう気がしたのです。
たとえ歩けなくても、杖をついてでも、這うようにしてでも、患者さんの前に立ち続けました。
患者さんたちは、私がどれほどの痛みを抱えているか知りません。
知ってほしくないと思いました。
痛みに負けない姿勢を見せたいというより、「治療家も痛むのだ」と思わせたくなかったのかもしれません。
※この考えは当時の私の思考であり正解ではありません、痛みのある時は無理をしないようご注意ください。
それでも、わずかな希望はありました。
痛みが一瞬だけ軽くなる瞬間があること…
ほんの数秒でも、腰から脚への激痛が弱まる時がありました。
その瞬間が「まだ終わっていない」「まだ戻れる」と教えてくれました。
絶望の底でも、小さな光は確かに存在していました。
私は必ずこの状況から復活し、同じヘルニアで苦しむ人の道しるべになる。
その小さな決意だけが、歩けない日々の中で私を支えていました。
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※本記録は個人の体験であり、治療効果を保証するものではありません