昨年秋、1日の業務が終わる頃携帯電話が震える、懐かしい声の持ち主は日本にはいないはずの友人だった。
当時秋風と虫の声が身にしみる夜、『無になってみようと思う!』と始まる。
全てを捨てて先のことも何も考えず、この日本で‘ゼロ‘になろうと…。
「そんなことしたら本当に何にも無くなっちまうよ!」と言葉を返す。
先日再びその名で携帯が震える。
まだ電話はあるんだと思いつつこちらからかけ直す。
『集中ってなんだよ!』と始まる。
「やるべきこと自体に雑念無く心が向いている状態」がまずこちらが出した答えである。
質問攻めの後、向こうの答えは無いまま電話のバッテリー切れ、その後も1人で考える、何が言いたいんでしょう…?
集中する、1点に集中する。
集中という事に執着することなくごく自然に全ての雑念を静め、想いを1つに集めていく。
更に凝縮する、
究極の点に意識を集中できたならば、
究極の無とも密接な関係があるはずである。
仏教の修行法の一つ‘禅‘とは精神を集中して、静かに無我の境地に入ることをいう。
何かにとらわれ、我を忘れる様な執着によって周りが見えない状態になってしまう集中はこの場合全くの逆である。
意識を集中するという事はきっかけであり、その先に広がる純粋な感覚、拡散によって感じられるものが、無我の境地へと繋がるんじゃないかと考える。
治療の場面においても純粋な心で患者さんと対面することは極めて大切である。
心を落ち着かせて自然と無になる時間を日々作り出せるならば、その感性は研ぎ澄まされより上質な治療もできるというもの。
無我の境地とは尋常ではない。
常識という顕在世界で生きている私達にとっては至難なこと。
それでも楽しいねー!やる事いっぱいあって嬉しいよ!
有り難い事です。
友人はこの感覚を伝えたかったのかな?
純粋な感覚は今の世界では受け入れられずらいかもしれないが、それによって救われる人々も多いでしょう。
異国でその歴史に名を刻んできた男である。その地をどこの国に移そうが多くの人間の力になってやってほしい。
それにしても10代はお互い自我の確立のために突っ走っていたもんだ。
今も走り続けているからこそ、景色は違えどいろんなモノが見えて来るのかもね!
友人の真意はいつも不明だが、次回その名で携帯電話が震えるのが楽しみです…。