水曜の午後は当院での基本診療はお休み、諸業務をこなし夜の空手指導までの空き時間に娘を公園で遊ばせながら草むらに寝転んだ。
大きく燃える真っ赤な夕日と草の匂い、土の匂いが身体の奥の記憶を蘇えらせる。
20年以上も前の記憶、初代ファミコンがお茶の間に進出するちょっと前のお話し。
小学校高学年、日曜、休日は決まって地域の草野球チームの練習があり、そのチームメイトとはユニフォームをぬいでも、かなりの時間を共有した。
遠くの街まで自転車で買い物、近所の駐車場でテントを張りキャンプ、深夜の公園では星の観察の名目で夜遊び、早朝のカブト虫採集、時にはロケット花火で全面戦争、この時ばかりは近所の奥様から花火で布団が焦げたと苦情があり花火全部をバケツにいれ全員で謝りに行ったことも。
草野球の試合会場となるのはバックネットはあるものの草っぱらの様な場所、只広さだけは半端でなく大人の試合も3会場くらい取れるだだっ広いグランド、晴れた日は富士山も見える気持ちの良い会場で試合間の待ち時間には決まって草の上でおにぎりを食べ、寝転んだりして時間をつぶしていた。あの時ほど大地との距離が近かった時期はないだろう。
野球のときだけではない、練習後や放課後の行き場所は自然と好奇心と危険が隣り合わせの冒険だった。
誰が知ったか極秘の場所があるという事。
東京と神奈川の間を流れる境川沿いだったと思う、全く人の手が加えられていない草ボーボーの獣道を奥へ奥へと進むと大きな穴がポッカリ口をあける。
危険な匂いプンプンのその穴には好奇心の塊のような自分達は入らずにいられない。
まず15mほど進むと行き止まり、右手に小さなはしごが1つ架けられており上方へのルートがある。
3~4メートル程登ると子供でも前かがみにならないと入れない下水管のような穴がある。
その後はまっすぐに針の穴程の光をたよりに只々前進、距離は定かではないがひたすら進む終着は鉄格子で閉ざされている、その先には進めないがそこから見える光景は壮大な大地が広がり遠くに大きな倉庫が並ぶ。 そこが日本ではないなという感覚は子供ながらにあった。 おそらく米軍キャンプに繋がっていたのだろう。
その終着地で近所の駄菓子屋で買った物を食べながら秘密の会議を開く。 この時、敵対するグループにロケット花火を打ち込まれたら完全にやられるという恐怖感も同時にあった。狭い管の中逃げ場なしなら当然であろう。ある時、会議中「カツーン・・カツーーン…」と小石が転がる音が鳴り響き直後に「ギャオアアアーーー!!」と奇声を上げながら何物かが迫ってきた!さすがに腹をくくった。 犯人は遅れて到着した友人、私達を驚かそうとしたのだ。その子には全員で「シッペ」、それはシャレじゃないよと!(笑)
1人、1人はちっぽけながらも、何でもできる、無限の可能性を感じていたあの頃。
同じ空気を共有していた仲間たちも今はバラバラ、もう会う事もないだろう。
今では全く違う冒険の続きを歩む少年時代の仲間たちも思い出すことがあるのだろうか?
俺はずっと忘れないよ!
あの毎日が好奇心の塊で走っていた「草の匂い、土の匂い」の季節を…。
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