この季節、外気と院内の温度差等により眼鏡を曇らせて来院する方が多くなります。
お千代(おちよ)ばあちゃんも眼鏡を曇らせながら来院されていた患者さんでした。
もう数年以上前、以前医療グループ接骨院の分院長をしていた時代のお話しです。
「カタカタカシャン」と押し車を立てかける音の後に眼鏡を曇らせ来院するのはお千代ばあちゃん。
たいした症状でなくても毎日、日課の様に通っては世間話しや昔話しやらで盛り上がっていた。
私が無理をしすぎる性格にアドバイスを行うと、
「何だと、孫め!」と返してくる。
『やんのか!』と返すと「上等だ、表出ろコラー!!」と始まるのであるから接骨院の患者さんの間ではちょっと有名なばあちゃんでした。
お千代ばあちゃんは感謝の気持ちを食べ物という形で表してくれた。
「よお!今日おにぎり差し入れすっから楽しみにしてろ!」と帰ると、夕方、電子ジャーの釜を押し車に入れ持ってきて、この米で「自分達で握って食え!」と怒鳴る。結局食べるのは夜の残業前になったが当時1人暮らしだった私にとってはとてもありがたかった。
接骨院の胸当てパットを枕に電診時うたた寝するのがよほど気持ち良かったらしく、なんと自宅用にパットを用意しろと騒ぐ、医療業者から取り寄せたら、その日から安心して眠れるようになったとニコニコ!
何日か来院されなかった時等、1人暮らしだったので心配で見に行くと、風邪で顔を真っ赤にしながらも「ほー、来てくれたのか!」と腰をかがませ手を差し伸べ「まあ、あがってくんなせー」と決まってリポビタンDやチオビタといった栄養ドリンクを飲みながら雑談をした。帰宅時も外まで出てきて見送ってくれる昔がたきのばあちゃんだった。
そんなお千代ばあちゃんも癌には勝てず、やがて入院することに。
目もほとんど見えなくなるがお見舞いに行くと、「その声は先生か!」と元気がいい。
その枕元には接骨院のパットがあった、「やっぱこれがないとなー!」と。
雑談をしては帰る日も長くは続かず、やがて呼吸機をつけ、喋る事もやっとに。
ちょうどその頃、「初めて接骨院に行った時、足の爪さ切ってくれた事が嬉しくてね、人間なんてちょっとした事なんだよなあ」とつぶやく様に言っていた。
その後はもう話す事もできず、手を握り返すのがやっと。
クリスマスの日にプレゼントを持って訪れた時、そこにはもうお千代ばあちゃんのベッドは無かった。
ごく少人数の葬式に出席すると周りの方々は親切に迎えてくれた。納骨までつきあい、深く頭を下げ、また院に戻った。
喜怒哀楽を地で生きたお千代ばあちゃん、「金は無くとも心は錦」と歌ってたっけ。
お千代ばあちゃん、孫は今でも頑張ってっぞ!
星になったお千代ばあちゃんの声は今でも私の胸に響き渡る。
「みんな頼りにしてんだからキッチリ痛み取ってやれよ!」と。
これからもずっと・・・。
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