仙台で初めて野球場に足を運んだのは当院を開業して2年目の夏、まだ楽天球団ができる前の県営宮城球場でした。
十数年前は接骨院の数も少なく、近所にある中学野球部の主要メンバーはほぼ全員通院していた。
決勝まで行けたら見に行くとの約束をはたされ、全校応援のヒーロー達の雄姿を宮城球場のバックネット裏から見守った。
球場で見せる選手たちの表情は、接骨院でリラックスする姿とは別人で戦う男の顔だった。
真っ白なユニホームを真っ黒に汚したまま来院しては怒られ、白球だけを毎日追いかけた10代の野球少年達。
そんな球児達も今は30代、忘れかけた頃にやって来る青年達は草野球の監督に、中学野球の顧問に、少年野球のコーチに、楽天の応援団にとみんな何かしら野球に携わっているとのこと。
仙台で初めて野球場に足を運んだ十数年前の夏、地区大会決勝 最終回1点差2アウト1、2塁。
真ん中高めを振りぬいた打球は、セカンドベース寄りを守っていた遊撃手の頭の上でジャンプ一番つかみ取られました。
今でも白球を追い続ける球児達は、あの時流した悔し涙をその後の勝利へと繋げている。
過去の敗北の意味は未来で変えられることを知っている球児達、10代でまかれた強さの種は野球という基盤の元、確実に大きく成長している。
スーツ姿の球児様、まだ暑さが続くかと思われますが、お体には十分気をつけて、今あるそれぞれのポジションで頑張ってください。
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Prev2019年8月14日
『神水』